★マクラーレンMP4/7Aホンダ
1983年から始まったホンダF1参戦第2期最後のマシンです。1988年から始まったマクラーレンとホンダのジョイントで1991年まで4年連続のタブルタイトルを
獲得。1992年はマクラーレンにV12エンジンを供給、その年のイタリアGPでF1活動の休止を発表しました。
1992年、マクラーレンは開幕3戦の南アフリカ、メキシコ、ブラジルを1991年のMP4/6の改良型で戦い、
MP4/7Aはヨーロッパラウンド開幕戦のスペインGPから導入する戦略を立てました。しかし、この年は
リアクティブサスを搭載したウイリアムズFW14B&ナイジェル・マンセルが開幕から独走。予定より早く
第3戦ブラジルからMP4/7Aを実戦に投入しましたが、セナが3勝(モナコ、ハンガリー、イタリア)と
ベルガー2勝(カナダ、オーストラリア)にとどまり、
シーズン最後までウイリアムズに追いつく事ができずダブルタイトルを奪取されてしました。
マシンのテクロノジーのほうではアクティブサスペンションこそ実戦では搭載されませんでしたが、電子制御スロットル「フライバイワイヤー」とプログラミングシフトを装備した
現代の物に近いセミオートマティックトランスミッションをF1で初めて採用しました。プログラミングシフトとは6速から1速(あるいは2速に)落とすところをシフトダウンするぶんだけ
パドルを操作(6,5,4,3,2・・・というふうに)するのとは異なり、ステアリングにあるボタンひとつでギヤを落とせる機構のことです。1992年のシーズン初優勝をカナダで飾ったベルガーは
TV用のインタビューで「セミオートマが使えなくなったのでマニュアルシフトに切り替えたんだ・・・」というコメントがありましたが、アレはプログラミングシフトが使えなくなったので、通常のパドル操作の
シフトダウンに変えた事を意味しています。決してコックピット内にマニュアルシフト用のH型シフトレバーがあったわけではありませんので注意!当時のTV放送の録画が残ってる人はもう一度優勝インタビューを見直してみては?
「セミオートマが使えなくなったのでマニュアルシフトに切り替えたんだ・・・」とコメントをしながらベルガーは親指でステアリングにあるボタンを押す仕草をしています。
実車についてが長くはなりましたが・・・キットのほうはイタリアGP仕様、セナのホンダでの最後の優勝のマシンです。キットはもともと高速コース用のウイングを用いたドイツGP用だったので、
簡単にイタリアGP仕様になります。マールボロのデカールはスタジオ27製、蛍光レッドはデカールで再現。修正のタッチアップは蛍光レッドと蛍光ピンクを混ぜた物を使ってみました。そういえばマクラーレンホンダのキットが最近
再販され始めましたけどこのキットは再販されていないんですよね・・・セナのマクラーレンではこのマシンが一番好きなんですがね。
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